女性に関わる人間関係で次々と問題を起こしているとき、母に執着をしている子どもの私を感じるようになった。(投影でその女性に執着している)
私がよくやるパターンは、
何も起きていないのに相手が怖くなり固まってしまい、まともにコミュニケーションを取れなくなる、というものだ。
正直、これが曲者で
なぜこんな行動をとってしまうのか、私自身が混沌とした中で解決策を求め彷徨い、
相手も意味がわからないだろうし、
本当に苦労した。
でも近頃、
本当はその人とどういう関係になりたいか、という大人の自分と、自動反応の自分を分けて考えられるようになってきた。
そこで気づいたのが、一番初めに言った「執着」である。
たぶん
他の同僚には求めていないことを求めている、求めすぎている感覚がある。
私が求めてること以外をされると、なぜか傷ついている自分がいる。
そして、その同僚と距離を取るのが怖い感覚がある。
距離をとる、というのは無視するとかそういうことではなくて、1人の人間として、自立した人間として立って関係を続けることだ。
それがすごーく怖いし、すごーーく嫌な感じがある。
たぶん
お母さん、私を見てほしい
お母さん、私をかまって
お母さん、私を愛してほしい
これを言いたいけど言えない小さな私が心のどこかにいるのかもしれない。
この感覚が癒されたら、私はだいぶ人間関係が楽になるんじゃないかなと思った。
大丈夫、気づけた。
ようやく気づけた。
大丈夫、ひとりじゃないよ。
一歩ずつ一緒に行こうね。